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最高裁判所第三小法廷 昭和54年(行ツ)35号 判決

上告人

北税務署長

戸谷晴治

右指定代理人

藤井俊彦

外一〇名

被上告人

日乃出電工株式会社

右代表者清算人

山積革造

右訴訟代理人

河合伸一

谷口進

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人蓑田速夫、同藤浦照生、同上田勇夫、同石川隆、同豊住政一、同篠原一幸、同上原健嗣、同小林修爾、同谷本巍、同西浜温夫の上告理由について

論旨は、本件係争の退職金名義の金員を所得税法上の退職所得にあたるとした原審の認定判断には著しい経験則・採証法則の違反及び法令の解釈適用の誤りがあり、これが判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背にあたるというのである。

よつて、以下に判断する。

一本件退職金名義の金員の支給に関して原審の確定した事実関係は、次のとおりである。

1  被上告人は、電気製品の製造販売を目的とする株式会社であり、従来、従業員の定年につき満五五歳定年制を実施していたが、定年時に支給する退職金については、その額を、退職時の基本給に勤続年数を乗じた額とするとともに、勤続年数が一〇年を超える場合には一律に一〇年分として計算することとしていたため、従業員の間では、かねてから不満が多く、退職金規程を改正して勤続年数に応じた退職金を支給することを要求する声が高まつていた。

2  ところが、被上告人は、昭和四〇年ころから経営が行き詰まり、多額の負債をかかえ、同年九月会社更生法の適用を申請するに至り、その後更正計画が認可されて会社再建が進められることになつた。このような状況のもとで、従業員側は、会社がいつ倒産するかわからないのでは、右の要望どおりに退職金規程が改正されても画餅に等しいものであるから、それよりもむしろ勤続満一〇年をもつて定年とし、その時点で退職金を支給し、その後引き続き勤務する場合は再雇用という形にするようにしてほしいとの要望をするに至つた。他方、会社側も、右の勤続満一〇年定年制を実施すれば、高齢者に対する多額の給与負担を免れることになるうえ、さほど熟練を要しない職種であるから永年勤続者が退職しても会社運営に支障を来すおそれも少なく、更に、被上告人のような中小企業では、満五五歳の定年まで働いてもらうよりも四〇歳前後で独立させてやるように指導していく方が本人のためにもよく、その意味で一つの区切りとして、また一つの目標として、勤続一〇年定年制を実施する方が望ましいとの判断に到達した。

3  このようにして労使双方の意向が合致したので、被上告人は、勧続満一〇年定年制を実施することとし、まず昭和四三年一〇月二一日実施の退職金規程にこれが盛り込まれ、次いで昭和四五年一一月一六日就業規則が改正され、その二八条において「従業員の停年は満五五才とする。又は、勤続満一〇年に達したもの。ただし停年に達した者でも業務上の必要がある場合、会社は本人の能力、成績、および健康状態などを勘案して選考のうえ、あらたに採用することがある。」と規定されるに至つた。

4  被上告人は、昭和四四年三月二〇日、岡崎美代子、神島浩、高塚良彦、高島清、奥内浩三、熊沢俊夫、広戸敬一、堀口幸義、藤村荘平、中島登に対し、昭和四五年三月二〇日、小西義峰に対し、昭和四六年四月二〇日、前川逸應に対し、同年五月二〇日、武智文夫、金山誠吾に対し、同年一一月二〇日、坂井作人に対し、いずれも右退職金規程により勤続満一〇年に達したものとして退職金を支給した。

5  右退職金の支給を受けた者のうち岡崎美代子及び中島登は右支給後ほどなく退職したが、その余の従業員は被上告人に引き続き勤務し、これらの者の役職、給与、有給休暇の日数の算定等には変化がなく、また社会保険の切替えもされなかつたが、右の者のうちその後に退職した広戸敬一、高塚良彦、堀口幸義、武智文夫、金山誠吾についての退職金の算定には、前記一〇年間の勤続年数は加味されていなかつた。

6  右のように定年に達した者の大半が引き続き被上告人に勤務しているのは、労働市場において退職者に代わるべき若い労働力が確保できなかつたことと、会社の主力になつて働くべき者が多く含まれていたことによるものであり、また、勤務条件等が変化していないのは、勤続満一〇年定年制採用当初の事務的な不慣れが原因であつたものであり、現在では明確な区切りをつけている。

二原審は、使用者から被用者に対して支給された金員が所得税法上の退職手当に該当するためには、原則としてそれが被用者の退職すなわち雇用契約の終了に伴い退職者に支給されるものであることを要するが、この場合、被用者が常に事業主体から完全に離脱しこれと絶縁することを要するものと解すべきではなく、例えば被用者が一たん退職金名義の金員の支給を受けたのち引き続き雇用関係を継続している場合であつても、当該退職金が支給されるに至つた経緯など特段の事情があるときは、退職所得の優遇課税の制度の趣旨に照らし、これを税法上の退職所得と認めるべき場合が存するとしたうえ、右の事実関係に基づき、勤続満一〇年定年制が就業規則に明記されている以上、従業員には勤続満一〇年に達したのち引き続き雇用されることを会社に要求する当然の権利はなく、再雇用については原則として会社に選択権があるといわざるをえないこと、右定年制が租税回避の目的で設定されたものではなく、被上告人の倒産状態からの再建過程にあつて労使双方の一致した意見により採用されたという特殊な事情があることなどを考慮し、右勤続満一〇年定年制に基づく退職は、その後の再雇用のいかんにかかわらず、社会一般通念上も退職の性格を有するものと認めるのが相当であるとし、被上告人が本件係争の一二名の者(前記一4記載の一五名のうち岡崎美代子、中島登、前川逸應を除いた一二名)に支給した退職金名義の金員は、まさに右の満一〇年の定年に達した者に一時に支給されたものであつて、所得税法上、給与所得ではなく、退職所得にあたるものと解すべきであると判断した。

三思うに、所得税法が、退職所得を「退職手当、一時恩給その他の退職により一時に受ける給与及びこれらの性質を有する給与」に係る所得をいうものとし(三〇条一項)、これにつき所得税の課税上他の給与所得と異なる優遇措置を講じているのは、一般に、退職手当等の名義で退職を原因として一時に支給される金員は、その内容において、退職者が長期間特定の事業所等において勤務してきたことに対する報償及び右期間中の就労に対する対価の一部分の累積たる性質をもつとともに、その機能において、受給者の退職後の生活を保障し、多くの場合いわゆる老後の生活の糧となるものであるため、他の一般の給与所得と同様に一律に累進税率による課税の対象とし、一時に高額の所得税を課することとしたのでは、公正を欠き、かつ、社会政策的にも妥当でない結果を生ずることになるから、かかる結果を避ける趣旨に出たものと解されるのであつて、従業員の退職に際し退職手当又は退職金その他種々の名称のもとに支給される金員が、所得税法にいう退職所得にあたるかどうかについては、その名称にかかわりなく、退職所得の意義について規定した同法三〇条一項の規定の文理及び右に述べた退職所得に対する優遇課税についての立法趣旨に照らし、これを決するのが相当である。かかる観点から考察すると、ある金員が、右規定にいう「退職手当、一時恩給その他の退職により一時に受ける給与」にあたるというためには、それが、(1) 退職すなわち勤務関係の終了という事実によつて初めて給付されること、(2) 従来の継続的な勤務に対する報償ないしその間の労務の対価の一部の後払いの性質を有すること、(3) 一時金として支払われること、との要件が必要であり、また、右規定にいう「これらの性質を有する給与」にあたるというためには、それが、形式的には右の各要件のすべてを備えていなくても、実質的にみてこれらの要件の要求するところに適合し、課税上、右「退職により一時に受ける給与」と同一に取り扱うことを相当とするものであることを必要とすると解すべきである(最高裁昭和五三年(行ツ)第七二号同五八年九月九日第二小法廷判決・民集三七巻七号登載予定参照)。

そこで、右のような見地に立つて本件についてみるに、被上告人が従業員について勤続満一〇年定年制を採用することになつたのは、労使双方の一致した意見によるものであつて、租税回避の目的に出たものとはみられないこと、そして、これを就業規則に定めるにあたつて、労使の合意により、定年の事由として、従前の満五五歳という年齢を基準とした事由に加え、勤続満一〇年に達したことという勤続年数を基準とした事由を新たに設けるとともに、定年に達した場合においても、選考のうえ再採用することがある旨を明定したことは、いずれも原審の確定するところであるが、他方において、被上告人が右の勤続満一〇年定年制の採用を決意した直接の動機は、主として、従業員の側において、会社倒産の危険に備えて、満五五歳の定年時まで待たなくても退職金の支給を受けられる方法として右定年制の採用を要望したからであつて、使用者の側において、従業員を満五五歳の定年の前に独立させることが望ましく、そのようにしても会社の運営に支障を来すことがないなどと考えたのは、必ずしも右定年制を採用するについての直接の動機であつたわけではないこと、また、勤続満一〇年に達したものとして退職金名義の金員の支給を受けた前記一五名の者は、その後ほどなく退職した二名の者を除き、引き続き被上告人に勤務していたこと、そして、これらの者の役職、給与、有給休暇の日数の算定等の労働条件に変化がなく、社会保険の切替えもされなかつたことは、原審の確定した事実関係から明らかである。

このように、被上告人において、従業員との合意により、従前の満五五歳定年制を存置させたまま、それ自体では従業員にとつて不利となる勤続満一〇年定年制という新たな制度を設けた直接の動機は、主として、従業員が早期に退職金名義の金員の支給を受けられるようにするためであるとみられるのであつて、この場合、従業員の関心は、専ら、勤続満一〇年に達した退職金名義の金員の支給を受けられるということにあつたもので、従業員としては、その段階で退職しなければならなくなるということは考えておらず、かえつて、従前の勤務関係がそのまま継続することを当然のこととして予定していたものとみるのが相当である。本件においては、原審の確定したところによると、前記退職金名義の金員の支給を受けた一二名の従業員のうち、八名は昭和四四年三月二〇日限り勤続満一〇年に達したものとして右金員の支給を受け、その余の者も、昭和四六年一一月二〇日までには同様に右金員の支給を受けたというのであり、この事実によれば、退職金規程が実施された昭和四三年一〇月二一日の時点において、早い者は五か月後、遅い者でも約三年後に、勤続満一〇年の定年を迎えることが予定されていたことは、客観的に明らかであつて、被上告人の従業員が、いかに会社倒産の危険が迫つていたとはいえ、かくも早い時期に原則として退職することになり、しかも再雇用の保障がないものとなることを予定していたと考えるのは困難であるといわなければならない。右事実関係のもとにおいては、右従業員らは、むしろ、近く勤続満一〇年に達することとなつても勤務関係が終了することはなく、しかも退職金の支給を受けることはできると確信していたからこそ、勤続満一〇年定年制の採用を希望したものと考えるのが合理的であつて、このことも前記のみかたを裏付けるものということができる。他方、勤続満一〇年定年制が設けられたのちにおけるこの制度の実際の運用をみると、原審の確定したところによれば、前記のように、勤続満一〇年に達して退職金名義の金員の支給を受けた従業員の大多数が引き続き勤務し、その労働条件、社会保険の取扱い等の上で前後全く変動を生じていないというのであるから、使用者の側の意識も、従業員のそれと特段異なるものではなく、被上告人の本意としては、右の定年制は、勤続満一〇年に達した従業員に退職金名義の金員を支給するための制度上の手当てとして設けられたにすぎず、したがつて、右定年制のもとにおいては、従業員は勤続満一〇年で当然に退職することになるものではなく、むしろ従前の勤務関係をそのまま継続させることを予定し、当初からこのような運用をすることを意図していたものとみるのが相当である。

本件勤続満一〇年定年制についての使用者及び従業員の意識が右のようなものであるとすると、従業員の勤続関係が外形的には右定年制にいう定年の前後を通じて継続しているとみられる場合に、これを、勤続一〇年に達した時点で従業員は定年により退職したものであり、その後の継続的勤務は再雇用契約によるものであるとみるのは困難であるといわなければならず、このような場合にその勤務関係がともかくも勤続満一〇年に達した時点で終了したものであるとみうるためには、右制度の客観的な運用として、従業員が勤続満一〇年に達したときは退職するのを原則的取扱いとしていること、及び、現に存続している勤務関係が単なる従前の勤務関係の延長ではなく新たな雇用契約に基づくものであるという実質を有するものであること等をうかがわせるような特段の事情が存することを必要とするものといわなければならない。

しかるに、原審は、勤続満一〇年に達して退職金名義の金員の支給を受けた一五名の従業員のうち二名の者がその後ほどなく退職した事実を認めながら、その退職が勤続満一〇年定年制の適用によるものであるか、それとも他の事由によるものであるかにつき、なんら認定判断せず、定年に達した者の大半が引き続き被上告人に勤務しているのは、労働市場において退職者に代るべき若い労働力を確保できなかつたことと、会社の主力になつて働くべき者が多く含まれていたことによるものであり、また、勤務条件等が変化していないのは、勤続満一〇年定年制採用当初の事務的な不慣れが原因であつたと認定しているにすぎないのであつて、右の程度の事実では、いまだ上記の特段の事情があるものということはできない。

いずれにしても、原審の確定した事実関係からは、直ちに、本件係争の退職金名義の金員の支給を受けた従業員らが勤続満一〇年に達した時点で退職しその勤務関係が終了したものとみることはできないといわなければならない。そうすると、右金員は、名称はともかく、その実質は、勤務の継続中に受ける金員の性質を有するものというほかないのであつて、前記所得税法三〇条一項にいう「退職手当、一時恩給その他の退職により一時に受ける給与」にあたるための三つの要件のうち「退職すなわち勤務関係の終了という事実によつて初めて給付されること」という要件を欠くものといわなければならない。

次に、右のように継続的な勤務の中途で支給される退職金名義の金員が、実質的にみて右の三つの要件の要求するところに適合し、右「退職により一時に受ける給与」と同一に取り扱うことを相当とするものとして、右の規定にいう「これらの性質を有する給与」にあたるというためには、当該金員が定年延長又は退職年金制度の採用等の合理的な理由による退職金支給制度の実質的改変により精算の必要があつて支給されるものであるとか、あるいは、当該勤務関係の性質、内容、労働条件等において重大な変動があつて、形式的には継続している勤務関係が実質的には単なる従前の勤務関係の延長とはみられないなどの特別の事実関係があることを要するものと解すべきところ、原審の確定した前記事実関係のもとにおいては、いまだ、右のように本件係争の金員が「退職により一時に受ける給与」の性質を有する給与に該当することを肯認させる実質的な事実関係があるということはできない。

以上のとおりであるから、原審が、本件係争の退職金名義の金員を所得税法三〇条一項にいう退職所得にあたるものとした判断は、法令の解釈適用を誤り、ひいて審理不尽の違法をおかしたものというべきであり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。そして、本件については更に審理を尽くさせるのが相当であるから、これを原審に差し戻すこととする。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官横井大三の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官横井大三の反対意見は、次のとおりである。

私は、多数意見と異なり、被上告人が神鳥浩ほか十数名に対し昭和四四年三月二〇日より同四六年一一月二〇日までの間に退職金として支給した金員が所得税法上の退職所得に該当するとした一・二審の見解を支持する。

たしかに、右退職金名義の金員は、所得税法が退職所得に対する税法上の優遇措置を設けるにあたつて予定した退職という事実に基づく給付金とはいえないかも知れない。しかし、一たん退職金に対する税法上の優遇措置を採用すると、当初予定したような退職という事実がないにもかかわらず、そのような優遇措置を与えるにふさわしいものとして、これに準じた優遇措置を与えるのを適当とする場合が生ずる。現に所得税法自体その三〇条一項において、「退職所得」を定義し、「退職により一時に受ける給付」のほか「これらの性質を有する給与に係る所得」をいうとして、退職という事実を必ずしも必要とせず、しかも退職した場合の一時金と同じ税法上の優遇措置を与えるべき場合のあることを予定しており、税務当局はこれをうけて、所得税基本通達三〇―二において、いわゆる定年に達した後引き続き勤務する使用人に対しその定年に達する前の勤務期間にかかる退職手当として支払われる給与でその給与が支払われた後に支払われる退職手当の計算上その給与の計算の基礎となつた勤務期間を一切加味しない条件の下に支払われるものも、また退職手当として取り扱うこととしているのである。この基本通達の趣旨につき論旨は、およそなんらかの社会的必要性に基づいて使用者としての身分継続中にいわゆる退職金打切り支給をした場合に、それが一般的合理性を有すると認められる限り、広くこれを法にいう退職手当等として取り扱うべきものとしたものではなく、勤務関係の性質や内容に重大な変動を生じたため従前の勤務期間についての退職給与を精算支給するものである点において、従前の勤務関係が終了した場合と実質上同視しうる場合、又は退職給与規程の制定若しくは相当な理由に基づくその改正の結果として従前の勤続期間に対する退職給与の精算支給の必要を生じたような特別の場合に限り、これを右の退職手当等として取り扱う趣旨であるというのであるが、この説明も必ずしも説得力があるものとはいい難く、本件のように、従来一〇年以上勤務しても退職金額はそれ以上増加しない取りきめとなつていて、それに不満を持つ従業員から、一〇年経過後も勤務年数に応じ退職金額を増額すべきことが要求されている間に、会社の経営が悪化し、会社更生法の適用を見るに至つたため、一〇年を一区間として勤務関係を精算することとして、それまでの勤務期間に応ずる退職金を支給し、その後も引き続き勤務する者のじ後の退職金の計算についてはすでに経過した勤務期間を計算に入れないこととした場合には、このような退職金につき、税法上退職所得扱いとすることは許されない、とまでいう必要はないと思う。退職という以上その後継続雇用する場合すべての面において全くの新規採用と同じでなければならない、という理由もない。

わが国の労働関係が原則として終身雇用であり、定年退職の時には、労働能力が相当低下していて、他に再就職をするとしても賃金はかなり低額となるので、退職金は将来の生活保障的な意味を持ち、担税力に乏しいところから、これを税法上優遇するという退職所得優遇制度は、それなりに理解できる。しかし、終身雇用制にも漸次変化が見られ、能力主義的雇用関係も芽生えつつあり、とりわけ中小企業においては、一〇年という期間は労働者が同一使用者に雇用される期間としては必ずしも短いものではなく、三〇年を終身雇用の平均勤務期間とすれば、それを分割し、退職金を一〇年ごとに精算支給することとすることも、それぞれの企業の労使間の事情に適するならば、税法上もそのままこれを受け容れるべきで、それを退職金という名の一般給与と見て、年収全体の中に組み入れ累進税率を適用して所得税を課するのは相当ではない。とりわけ、例えば五年を定年とするが如き場合は、かりに右のように総合累進課税をしても課税所得自体がそれほど高くならないし、終身雇用を原則とする目から見れば余りに短かすぎる定年制であるから、この場合に支給される退職金名義の金員につき右のような配慮をする必要はないといつてよいが、一〇年定年制となれば、終身雇用を原則とする目から見てもそれほど短いとはいえないし、一〇年間分の退職金を一時にその支給年の一般給与に加算して累進税率を課すれば、税額も相当高くなると思われるので、この場合には、右退職金につき前記の所得税優遇軽課の措置を認めることは、十分に考慮に値するものというべきである。これを更にふえんにすれば、終身雇用制の場合の退職金に課される所得税については、控除額も高くなり税額も比較的低くなるのに、それを採用せず、退職金につき右控除額が少なくしたがつて税額が比較的高くなるなど不利な取扱いを受けるおそれのある一〇年定年制を、敢えて採用するについては、当該企業に固有の、それなりの事情があるはずであり、このような場合には、かかる事情を考慮し、一〇年目に支払われた退職金名義の一時金が従来の継続的な勤務に対する報償ないし精算金的性質を有するものである限り、その経済的実質に着目し、これを税法上の退職所得として取り扱い、右のような不利益を受けることがないように配慮することを違法とまでいう必要はないと考えられる。本件において、被上告人が勤続満一〇年定年制を採用するに至つた経緯ないし事情は、原審の確定した事実関係として多数意見の冒頭に記載されているとおりであつて、まさに右のような取扱いを肯認しうるものということができる。

したがつて、本件係争の退職金名義の金員を所得税法上の退職所得にあたるとした原審の認定判断は正当であり、論旨は採用しえないものであつて、本件上告はこれを棄却すべきであると考える。

(伊藤正己 横井大三 木戸口久治 安岡滿彦)

上告代理人蓑田速夫、同藤浦照生、同上田勇夫、同石川隆、同豊住政一、同篠原一幸、同上原健嗣、同小林修爾、同谷本巍、同西浜温夫の上告理由

原判決は、被上告会社が従業員に対し、退職金名義で支給した金員につき、これを所得税法上の退職所得に該当すると認定判断したが、その認定判断過程には著しい経験則・採証法則の違背、法令の解釈適用の誤りがあり、右は民事訴訟法三九四条にいわゆる判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背に当たる。

一、原判決は、退職金名義で支給された本件金員を所得税法上の退職所得に該当するものと判断しているが、右判断の当否を検討する前提として、まず、以下に所得税法における退職所得の優遇措置の内容とその立法趣旨並びに本件金員が所得税法所定の退職所得に該当するための要件を明らかにすることとする。

1 所得税法上退職所得とは、「退職により一時に受ける給与及びこれらの性質を有する給与に係る所得をいう」(同法三〇条一項)ものとされ、右の退職所得に対する所得税については、現に雇用関係の存する者が得る通常の給与所得に比較して、控除額も多く、収入金額から勤続年数に応じて累増される退職所得控除額を控除した残額の二分の一に相当する金額をもつて退職所得の金額とし(同法三〇条二項、三項)、かつ、退職所得は総所得金額とは分離して課税され(同法二二条一項)、超過累進税率の適用が緩和されている。

2 このように所得税法が退職所得に対して特別の優遇措置を定めている趣旨は、退職所得となる退職手当等が、過去の長期勤務に対する報償ないし賃金の一部後払いたる性質を有することにあることもさることながら、むしろその最大の理由は、退職所得が退職すなわち従前の継続的な雇用関係の終了という法律上の原因に基づいて支給されるものであること、したがつて、それが退職と同時に従前定期的に得ていた給与等の安定した生活資金源を喪失する給与所得者にとつて、老後あるいは再就職までの失職期間中の生活を維持する重要な糧としての役割を担つているものであるため、課税上もその現実を率直に認め、社会政策的給与所得者の退職後の生活を保護しようという配慮に出たものにほかならない。更に、これを一般的な担税力の点からみても、現に雇用関係の継続する給与所得者が、その雇用関係の下で同一の身分を保持しながら、定期的、反復的にその収入を得ているのに対し、退職所得者は右のような身分を喪失し、その経済力が激変して、単に一時的な収入を得るにとどまる。この点から、退職所得は通常の給与所得に比し、著しく担税力の乏しいものであることがうなずかれるのであつて、法が退職所得に対し優遇軽課をする理由の一つも、この相違に着目したものと解される。

3 右の退職所得の優遇軽課の趣旨にかんがみ、所得税法三〇条一項に規定する「退職により一時に受ける給与」及び「これらの性質を有する給与」に該当する要件を考えると、まず、「退職により一時に受ける給与」に該当するためには、①その給付が従来の長期間の勤務に対する報償ないしは従来の労務の対価の一部後払いたる性質を有することのほか、②当該給与が従来の給与所得の源泉をなしてきた勤務関係の終了、すなわち退職によつてはじめて生ずる給付であること(退職なかりせば当該給付を得られないものであること)、③それが勤務関係終止の際に一時に支払われるものであること、以上三つの要件、殊に後二者の要件を具備することが必要である(東京高裁昭和五三年三月二八日判決・訟務月報二四巻一〇号二一一七ページ)。

なお、退職所得に該当するための右各要件中、その中核をなす「退職」とは、前記の退職所得優遇制度の趣旨等からして、社会通念上、一般に「退職」として理解される実態を備えたものでなければならないと解すべきである。したがつて、「退職」という事実の存否の判断にあたつては、当事者が採用した形式にとらわれることなく、その実態が社会通念上の退職に当たるか否か、すなわち雇用契約が辞職、解雇等の事由によつて、将来に向つてその効力を失うとともに、実際に退職者が従来の雇用契約に基づく継続的な身分関係から離脱し、右継続的な雇用関係に包含されていた定期的な賃金の受給等の安定した生活保障をも喪失するというような実態があるかどうかということが問われなければならない。

4 次に、「これらの性質を有する給与」とは、形式上、右の「退職により一時に受ける給与」に係る三要件のいずれかを欠くようにみえる給与であつても、その実質において、右要件の趣旨に適合し、課税上「退職により一時に受ける給与」と同一に取り扱うことを相当とするものを指すのである(前掲東京高裁判決)。

ところで、昭和四五年七月一日の所得税基本通達三〇―二では、右3にいう「退職」に該当する事実がない場合にも、同通達所定の要件を満たす給与(六つの事例に限定している。)については、右「これらの性質を有する給与」として、退職所得に該当する旨を規定している。この基本通達の趣旨は、およそなんらかの社会的必要性に基づいて、使用人等としての身分の継続中に、いわゆる退職金の打切り支給をした場合に、それが一般的合理性を有するものと認められる限り、広くそれを法にいう退職手当等として取り扱うべきものとするものではなく、勤務関係の性質や内容に重大な変動が生じたため、従前の勤続期間についての退職給与を精算支給するものである点において、従前の勤務関係が終止した場合と実質上同視しうる場合、又は退職給与規程の制定若しくは相当な理由に基づくその改正の結果として、従前の勤続期間に対する退職給与の精算支給の必要を生じたような特別の場合に限り、これを右の退職手当等として取り扱うこととするものである。

二、ところで原判決は、その理由(原判決が引用する第一審判決を含む。以下同じ。)中において次の各事実を認定している。

1 被上告会社は、従来満五五歳定年制を実施し、定年時の退職金はその時の基本給に勤続年数を乗じた額としていたが、勤続年数が一〇年を超えた場合は、一率に一〇年分として計算されることとなつていたため、従業員の不満が多く、退職金規程の改正を要求する声がたかまつていたこと(第一審判決七丁裏一二行目以下)。

2 被上告会社は、昭和四〇年に会社更生法の適用を申請するに至つたため、従業員側から、たとえ退職金規程が改正されたとしても、会社がいつ倒産するかわからない状況では、それは画餅に等しく、むしろ勤続満一〇年をもつて定年とし、その時点で退職金の支給を受け、その後引き続き勤務する場合は、再雇用の形にして欲しい旨の要望がなされるに至つたこと(第一審判決八丁表五行目以下)。

3 被上告会社側も、一〇年定年制は、高齢者に対する給与負担から免れ、職種の性質上、永年勤続者の退職が会社運営に支障を来すおそれも少ないなどの諸事情を勘案し、従業員側の前記要望を受け入れることとなつたこと(第一審判決八丁裏三行目以下)。

4 かくして、労使双方の合意により、勤続満一〇年定年制が昭和四三年一〇月二一日実施の退職金規程に盛り込まれ、次いで昭和四五年一一月六日改正の就業規則二八条で「従業員の停年は満五五歳とする。又は勤続満一〇年に達したもの。……」と規定されるに至つたこと(第一審判決八丁裏一二行目以下)。

5 昭和四四年三月に一〇名、昭和四五年三月に一名、昭和四六年四月に一名、同年五月に二名、同年一一月に一名の従業員に対し、勤続満一〇年に達したものとして退職金が支給されたが、そのうち三名を除くすべての者は、被上告会社に引き続き勤務し、これらの者の役職・給与・有給休暇の算定等には変化がなく、また、社会保険の切替えもなされていないこと(第一審判決九丁表七行目以下)。

6 右退職金の支給を受けた従業員と、被上告会社との間には、明示の再雇用契約の締結はなされていないこと(第一審判決一一丁表一一行目以下)。

以上の各事実を認定した上で、原判決は、本件金員が所得税法三〇条の退職所得に該当する旨判示している。

しかし、本件金員は同条の退職所得ではなく、同法二八条の給与所得に該当するものであつて、原判決の右認定判断は、経験則・採証法則違反に基づく、事実誤認、所得税法二八条・三〇条の解釈適用に誤りをおかしている。その理由について次の三に詳論する。

三1 原判決は、本件金員が所得税法三〇条一項にいう「退職により一時に受ける給与」に該当するものと認定判断するに当り、本件従業員が勤続満一〇年に達した際に、いつたん被上告会社を退職した後、同会社に再雇用されたものと認定判断しているが、右は、経験則・採証法則に反して事実を誤認し、法令の解釈適用を誤つたものである。

(一) 原判決は、前記二の認定事実の上に立つて、被上告会社の従業員の勤続満一〇年定年制に基づく退職は、その後の再雇用の如何にかかわらず、社会通念上も退職の性格を有するものと認めるのが相当であるとしている。

しかし、原判決が認定した前記二の事実のうち、特に重視されなければならない事実は、本件退職金名義の金員の支給を受けた従業員のうち、大部分のもの(訴外神鳥浩ほか一一名。本件において係争の対象となつた者の全員である。)は、引き続き被上告会社に勤務し、しかも、これらの者の役職、給与、有給休暇の算定等勤務条件には何ら変化がなく、かつ、社会保険の切替えもなされず、また、改めて明示の雇用契約を締結していなかつたという事実である。これらの事実を率直に評価し、本件の場合、前記の退職所得の要件たる「退職」に該当する事実の有無を検討すれば、当事者が合意で定めた制度の形式(一〇年定年制)がどうであれ、実質的な社会的事実としては、神鳥ほか一一名の従業員が、就職後一〇年の期間経過とともに、従前からの継続的雇用関係から離脱したとも、また、これらの従業員につき、右期間経過後に勤務条件が激変したとも認められず、むしろ、雇用関係には何らの変化もなく、引続き従前どおりの勤務に服していると見るのが相当である。

したがつて、原判決認定の前記事実をもつてしては、到底、原判決のいうように、社会通念上の退職に該当する事実が存したとは言えず、所得税法三〇条等にいう「退職」たる要件を満たしていないことは明らかである。

(二) 原判決は、右従業員らの「退職」を理由づけるため、その根拠の一つを被上告会社の退職金規程(昭和四三年一〇月二一日改正実施。甲第二号証添付。)の規範的効力に求めている。すなわち、原判決は、「被上告人の一〇年定年制は、労使双方の意向を退職金規程に表現したものであつて、右規程自体を就業規則とみることができる」(原判決一〇丁表一〇行目から一〇丁裏二行目まで)とした上、「右の定年制が就業規則に明記されている以上、一〇年を経過した時点において法律上雇用契約はいつたん終了するものといわなければならない。」(原判決一〇丁裏五行目から七行目まで)というのである。

しかし、原判決がいかなる根拠に基づき、右退職金規定をもつて一〇年定年制を定めたものと判断したのかは詳らかでないが、原判決が引用した第一審判決理由中の挙示の証拠(第一審判決七丁裏七行目から一一行目まで)や、上告人が本訴において提出した他の証拠(乙第四号証の一ないし一七、乙第五号証の一ないし一一、乙第六号証の一、乙第七号証、乙第八号証)及び公知の事実である当時の労働事情等をつぶさに検討すれば、次のとおり、右退職金規程は、定年年限の到来により、自動的に雇用関係の終了を伴う、本来の意味での勤続一〇年定年制を定めたものとの認定判断を導くことはできず、原判決には、経験則・採証法則の違背、法令の解釈適用の誤りがある。

(1) まず、右退職金規程(甲第二号証添付)の文理からみて、原判決の認定判断には疑問がある。

すなわち、右退職金規程は、その二条において「従業員が次の事由により退職する場合は、別表Aに定めた支給基準率により退職金を支給する。」とし、同条四号で、「停年で退職する時及び勤続満一〇年に達した時」と定めている。右規定の文理に従えば、勤続満一〇年に達して現実に退職する場合には、たとえ、それが自己都合による退職であつても、同規程三条の規定にかかわらず、別表Bの支給基準率(別表Aの支給基準率の二分の一)より有利な別表Aの支給基準率による退職金を支給することを定めたものと解するのが自然である。もつとも、本件のように引き続き勤務する者に本件金員を支給していることを考慮に入れても、右二条四号の規定は、「勤続満一〇年に達した時」に、単に退職金名義の金員を支給することを定めたものと解されるにとどまり、原判決のごとく、これをもつて通常の満五五歳定年制のほかに、勤続満一〇年を定年年限とする定年自動退職制が定められたものとは、到底解することができない。

(2) また、原判決の認定判断には、退職金規程の制定の経過からみても疑問がある。

すなわち、原判決の認定によれば、従来、被上告会社の退職金制度は、勤続満一〇年に達すると、それ以後退職金支給率は増加せず、これが、退職の際に一括支給されていたのであるが、従業員の間で不満が多かつたので、従業員の要求をいれて、昭和四三年一〇月二一日実施の退職金規程により、勤続満一〇年に達した時点で、別表Aに規定する支給率によつて計算した退職金名義の金員を、いつたん現実に支給し、更に、勤続満一〇年ごとに退職金名義の金員を支給するように改めたというのである。

しかし、右退職金規程(甲第二号証添付)と改正前の退職金規程に相当する「退職に関する規定」(乙第二号証)を対照してみると、改正前の退職金支給率と改正後の別表Aの支給率は同じであるから、仮に、原判決のいうように、勤続満一〇年定年制により、従業員の早期退職を促進することが目的であれば、退職金規程を改正するよりは、むしろ従業員就業規則の改正をするのが道理と言うべきである。

(3) 更に、右退職金規程は、元来就業規則に付属するものであるが、就業規則(甲第二号証)は、昭和四五年一一月一六日に改正されたものであり、これに付属する規定の方が本則よりも二年も早く改正されるということは、いかにも奇異に感じられる。しかも、退職金規程と同時に発効したものとされる給与規程(乙第三号証)が現実に実施されたのは、昭和四五年四月以降であること(乙第四号証の一ないし一七の給与明細表及び乙第五号証の一ないし一一の所得税源泉徴収簿参照)と対照すると、一層不可解である。

(4) また、日本生命保険相互会社との間で締結していた企業年金保険契約(乙第六号証の一)によれば、被保険者の年金受給資格は、勤続年数二〇年以上かつ満五五歳以上の退職により取得するものと定められているから、勤続満一〇年定年制を実施するのであれば、右契約に何らかの改訂を必要とするのに、昭和四三年一一月当時、右契約が改訂されたことを示す証拠は全く存しない。

(5) しかして、本件金員の支給を決定した昭和四四年二月二八日開催の被上告会社の定時取締役会議事録(乙第七号証)「退職金支給の件」の項に、「一〇年を超える者につき三月二〇日(三月二一日より昇給のため)現在にて退職金打切りとし退職金を会社都合による支給率により支給する」との記載があるが、一〇年定年の自動退職制であれば、昇給期が到来することを考慮に入れる必要はないはずであり、また、その支給期が勤続満一〇年の時期とは異なる理由で定められたことや、在職者に支給する場合と同じ「打切支給」という用語が用いられていることも、定年自動退職制にそぐわない。

(6) 原判決が、勤続満一〇年定年制採用の事情の一つとして、被上告会社が、「さほど熟練を要しない職種であるから永年勤続者が退職しても会社運営に支障を来すおそれも少ない」と判断したことによる(第一審判決八丁裏五行目以下)と認定しているが、これは、原判決が別の箇所で、定年に達した者の大半が引き続き被上告会社に勤務していることの理由として認定した「労働市場において退職者とかわるべき若い労働力を確保できなかつたことと、 会社の主力になつて働くべき者が多く含まれていたことによる」(第一審判決一一丁裏七行目以下)という事実とは、明らかにそごを来している。すなわち、本件一〇年定年制が退職金規程に定められた日(昭和四三年一〇月二一日)と、右規程実施後最初に勤続満一〇年を迎えた従業員の大部分が右理由で再雇用された日(昭和四四年三月二〇日)との間には、わずか数か月しか経過しておらず、その間に労働市場の状況に極端な変動があつたとは常識上到底考えられない。とすれば、原判決の認定は、わずか数カ月の間における労働市場に関する被上告会社の認識が明らかに異なつているという矛盾を看過していると言わなければならない。

(7) また、原判決認定の、高齢者に対する多額の給与負担を免れるという一〇年定年制採用の理由も、もともと、一〇年定年に達した者が、実際に退職しても、若年労働者による補充が容易に行われ得ることを前提としているものであつて、被上告会社が会社更正法の適用を受けたため、将来に不安を感じた従業員が現に約五七人(従業員総数の約半数)にのぼつている(第一審における被上告会社代表者本人調書五丁裏以下)ことからみても、被上告会社のような経営状況の悪化した会社に就職を希望する労働者が多数ある道理はないから、到底肯認できる理由ではない。

ちなみに、昭和四三年当時、進学率の上昇、経済の高度成長等により若年労働力が不足し、その確保が困難であつたこと、他面、満五五歳の定年制でも、定年に達した者はまだ十分に働くことができる年齢であり、しかも、平均寿命はますます延びる傾向にあつて、高齢者の生活保障の意味からも、定年年限の延長又は勤務延長の制度をとる企業が増加しつつあつたことは、当時の社会的背景として公知の事実である。この点からみても、原判決の右理由は根拠がないと言わなければならない。

(三) また、原判決は、従業員らの「退職」を理由づけるもう一つの根拠を、昭和四五年一一月六日に改正された被上告会社の就業規則(甲第二号証、以下「本件就業規則」という。)のうち、勤続満一〇年定年制に関する部分についての規範的効力に求めている。しかし、これを認めた原判決の認定判断には、経験則及び採証法則違背、法令の解釈適用の誤りがある。

(1) すなわち、本件就業規則は、前記の退職金規程の改正に伴い、これと平そくを合わせるべく改正されたもので、形式を整えるために市販の就業規則書式の二八条に一行「又は、勤続満一〇年に達したもの。」とタイプで加筆したものに過ぎない。

したがつて、本件就業規則の制定の経緯には、前記(二)において述べた退職金規程の制定の経緯と同様、種々の疑問が存する。

(2) 原判決は、本件就業規則上の一〇年定年制は、労使双方の意向が合致したところで実施されたと認定している(第一審判決八丁裏一二行目以下)。

しかしながら、被上告会社の従業員らは、退職するしないにかかわらず、退職金に相当する給与を先取りできるものであれば、先にもらつておこうという意思で退職金規程や就業規則の改正に賛成した(神鳥浩証人調書一八丁裏)のであり、また、勤続満一〇年に達して退職金名義の金員を受領したとしても、会社が退職の勧告をしない限り、本人の意思で引き続き勤務することができると期待したからこそこれに賛成した(同証人調書六丁裏、二〇丁表、裏)のであつて、このような期待は、金曜会なる委員会の従業員側代表であつた訴外武智文夫から伝えられ、かつ、過去の例からみても現実に退職させられることはないと信じた(同証人調書七丁表)ことによるものである。現に、従業員の大部分はそのように信じ(同証人調書二〇丁裏)、解雇の不安を感じたものはごく一部に過ぎなかつたのであるし(同証人調書二一丁裏)、勤務の勤続を希望する従業員の意思に反して会社側が退職させた例は皆無であつたのである(第一審における被上告会社代表者本人調書三一丁裏)。

右のような経緯で改正された退職金規程及び就業規則が、原判決の言うように「従業員には一〇年に達した後引き続き雇用されることを会社に要求する当然の権利はなく、再雇用については原則として会社に選択権がある」(第一審判決一一丁裏二行目以下)のような定年制を定めたものと言えないことは多言を要しない。

(3) 仮に、本件就業規則が、原判決の言うような一〇年定年制を定めたものであるとすれば、その定めが労働法上有劾であるとたやすく言えるかどうか疑問である。

すなわち、一般に定年退職制度における定年年齢は、業務の性質に応じた人間の精神的・肉体的能力、企業の能率の維持増進の必要性を十分考慮して従業員を退職させる具体的必要が存すると、社会通念上是認されうる程度の年齢でなければならない。もし、そうでなければ、労働者保護の観点から、その定年制自体合理的存在理由を欠くものと言うべきである。ちなみに定年年齢が生理的年齢でなく、単なる暦年齢のみによることについて疑問を唱える見解すらある(木村五郎・新労働法講座八巻一七一ページ)。

殊に、当時から定年定齢の延長が切実な社会的要求とされてきており、実際にもこれが延長される傾向にあつたから、本件のように合理的理由の認められない企業の便宜のみによる若年定年制は、解雇権の濫用と解される余地もあり、その有効性は極めて問題であると言わざるを得ない。

被上告会社は、勤続満一〇年定年制を採用した理由の一つとして、熟練を要しない職種であることを挙げているが、職務に熟練することが企業能率を維持する上で支障になるとは到底考えられないし、右のような職種であれば、かえつて中、高年者であつても、その勤務の継続に支障がないものと言うべく、若年定年制の合理性を理由付けるものでは決してありえない。むしろ、被上告会社の側から従業員に対し一方的に退職を求めうるためには、一般の解雇と同様に厳格に限定された正当な事由が存することが必要である。

更に、被上告会社は、従来から勤続満一〇年に達した後も、従業員を引き続き勤務させてきたのであるから、従業員に均等待遇を保障する意味においても(労働基準法三条)、特定の従業員について合理的な理由もなく、勤続満一〇年の機会に雇用関係を終了させることはできないはずである。してみれば、本件一〇年定年制は、明らかにその実効性を失うこととなる。

(4) 勤続満一〇年に達した従業員らは、被上告会社と雇用契約を締結した昭和三三年ないし昭和三六年当時においては、満五五歳定年制が施行されていたのであるから、特別な事情がない限り、満五五歳に達するまで雇用関係が継続していくことを期待して雇用契約を締結したものと推認され、右の満五五歳定年制は、個々の雇用契約の内容に転化していくものと認められる(労働基準法九三条)。

したがつて、本件就業規則が施行され、一〇年定年制が定められたものとしても、その効力が当然に勤続満一〇年に達した従業員らに対しても、適用があり、従業員には引き続き雇用されることを会社に要求する権利はなく、会社側は再雇用するか否かについて選択権があるものといいうるかどうかは多大の疑問がある(川崎武夫・新労働法講座八巻二七三ページ)。

(四) 次に、原判決は、本件金員の支給を受けた従業員が、その後も被上告会社に勤務を続けていることについて、いつたん雇用契約が終了し、新たに黙示の再雇用契約が締結されたと認定判断しているので、以下この点につき検討を加える。

(1) これまでに詳述してきたとおり、本件一〇年定年制は、勤続満一〇年を経過した従業員につき、当然に雇用契約を終了せしめるという効力を有しないことは明らかであり、再雇用契約の有無を論じる必要も本来ないものと言えるが、しかし、それはさておき、原判決の黙示の再雇用契約の認定判断には、明らかな事実認定上の経験則違背、法的判断の誤りがある。

(2) 一般に黙示の契約が締結されたと認定判断されるためには、その契約内容が、一義的に明確になつている場合に限られるはずであり、本件においても、労働慣行や労働協約等によつて、再雇用の場合の勤務条件等が明確にされておれば、あるいは、黙示の再雇用契約が推認される場合もあり得るであろう。しかし、被上告会社においては、労働条件を一義的に定める基準としては、単に基本給等を定めている給与規程があるに過ぎない。したがつて、仮に明示の再雇用契約がなくとも、一〇年経過後は基本給相当額しか支給されておらず、役職・有給休暇の算定等の勤務条件についても、新規採用者の取扱いがなされておればともかく、本件のように、それら重要な勤務条件に何らの変更もないまま勤務を継続している場合には、原判決のように黙示の再雇用契約の認定判断をするよりも、むしろ、従前の雇用契約がそのまま継続されていると見るのが合理的である。原判決の認定判断は、この点、明らかに経験法則の適用ないし法的評価判断を誤つたものである。

(3) 原判決は、再雇用に際し、勤務条件等が変化していないのは、一〇年定年制採用当初の事務的不慣れが原因であり、現在では明確に区切りをつけている旨、判示しているが(第一審判決一一丁裏末行以下)、そこにいう勤務条件等に役職・給与等の勤務条件として最も重要な事項まで含むものとすれば、再雇用の際、それらに変化がないことを、原判決判示のように単なる事務の不慣れをもつて説明することは、事柄の性質上許されるべき筋合のものではないし、また、原判決のいうように、勤務条件が現在では明確に区切りをつけられているとしている点も、少なくとも役職・給与等についての区切りは現につけられていない(第一審における被上告会社代表者本人調書二四丁表ないし二六丁表)のであるから、極めて不正確な事実認定であるといわざるを得ない。仮に、原判決がいう勤務条件等が、単なる社会保険・失業保険の形式的な手続の履践を指し、その中に役職・給与等重要な条件を含まないとすれば、それは勤務条件としては極めて非本質的な部分の変更に過ぎず、これをもつて、勤務条件等に明確な区切りをつけたとするのは、余りにも皮相的な認定判断というほかはない。

(五) 以上のとおり本件一〇年定年制は、単に従業員が一〇年ごとに退職金名義の金員を受給する資格を取得する制度としてとらえるのならばともなく、これを原判決判示のような意味での定年制を定めたものとは到底解し難く、したがつて、原判決が本件一〇年定年制を判示のような制度と前提して「雇用契約の終了」「黙示の再雇用」を認めたその認定判断の過程には、多くの経験法則違背、採証法則違背、法的評価・判断の誤り等の違法がある。換言すれば、原判決は、本件金員が退職所得に該当するという結論を前提としたうえで、退職金規程、就業規則に定められている一〇年定年制と、勤続満一〇年を経過した従業員が従前と全く変らない勤務条件のもとに被上告会社に継続して勤務していることとの矛盾を「雇用契約の終了」「黙示の再雇用契約の締結」という二つの法的なフィクションによつて解決しようとしたものだとも言い得るのである。

2 また、原判決は、本件金員が所得税法上の退職所得に該当する理由として、①所得税基本通達三〇―二の(4)の、いわゆる定年退職後の再雇用の例が、その趣旨において本件の場合に推し及ぼさるべきものと考えられること、及び②退職手当優遇軽課の立法趣旨の一つに退職一時金が在職中の労働力提供の対価としての給与の性質をももつているのに、それが退職時に一時に実現するために、累進税率を適用すると一般の給与として支給された場合に比して不公平となる点があるところ、被上告会社のような業種の中小企業において勤続年限一〇年は、労働者が同一の使用者に雇用される期間として必ずしも短いものではなく、本件退職金は右期間の対価としての一時金という趣旨があるから、これを優遇軽課しても右立法趣旨に背くものとはいえない旨判示し、本件金員の支給において、仮に社会通念上の「退職」の事実が否定されるとしても、右金員が、所得税法二〇条一項に規定する「これらの性質を有する給与」に該当すると判断しているものとも解し得る。

しかしながら、右判断は、次のとおり「これらの性質を有する給与」の解釈を誤つたものである。

(1) なるほど右通達には、いわゆる定年に達した後引き続き勤務する使用人に対し、その定年に達する前の勤続期間に係る退職手当等として支払われる給与で、その給与が支払われた後に支払われる退職手当等の計算上、その給与の計算の基礎となつた勤続期間を一切加味しないとの条件の下に支払われるものは退職所得として取り扱うことを定めているが、これは、我が国の労働慣行として広く普及している、いわゆる満五五歳定年制のような一般的な定年退職制を前提としたものであつて、本件のような特殊な若年定年制を前提としたものではないと解さなければならない。すなわち、通常の満五五歳定年制においても、定年後の再雇用が行われている例は多いが、この場合には、当該定年退職者は、従前の役職を失ない嘱託等の身分になり、給料も著しく減額され、しかも再雇用後の勤続期間については退職手当等が支給されないのが通例である(現代賃金制度研究会編・退職金・年金の考え方・決め方日本法令様式販売所刊一一五ページ参照)。このような場合に定年に達する前の勤続期間に係る退職手当等として支払われる給与を退職所得として扱うのは、その勤務の性質や内容に重大な変動が生じているため、その給与は、従前の勤続期間についての退職手当等を精算支給するものである点において、従前の勤務関係が終止した場合と実質上同視しうるからである。

本件では、従前と同一の勤務関係が継続しており、勤務関係の性質、内容に重大な変動が生じていないことは明らかであるから、右通達の場合と同視することはできない。

なお、右基本通達三〇―二に規定する(4)以外の五つの事例における退職金の打切り支給の場合においても、前記一の4で述べたとおり従前の勤続期間に対する退職金給与の精算支給に限られるところ、本件金員がそれらの場合に該当しないことは明らかである。

(2) 本件金員が、勤続一〇年間の労働力提供の対価たる給与の性質を有しており、それが一時に実現したものであることは疑いをいれない。

しかしながら、本件金員が雇用関係に基づいて支払われた給与でありながら、所得税法三〇条一項に規定する「退職により一時に受ける給与」に該当せず、かつ、その範囲が右基法通達三〇―二の例示に限定される「これらの性質を有する給与」に該当しない以上、所得税法が、まず、当該年中に実現した収入に対して課税する建前をとり、かつ、これを一〇種類の所得に分類し、しかる後その所得の多寡に応じて超過累進税率を適用することとしているのであるから、本件金員が一時に生じた所得であるにせよ、これに給与所得として所定の税率が適用され応分の租税が課せられるのは当然である。本件金員のように勤務関係が継続している中で使用者から支給される給与は、給与所得であり、勤務関係が終了する際に一時に受ける給与である退職所得とは異なり、これにまさる担税力を有しているのであるから、単に一時的な給与であるという理由のみで超過累進税率の適用を緩和するため当該給与を退職所得と分類するのは本末てん倒の議論であるといわざるを得ない。

(3) なお、被上告会社がこのような退職金の支給形式をとつたのは、従業員らの要望によつて会社倒産時の退職金の支払源資を確保するためであるというのであるが、右目的のためならば、退職給与引当金相当額の資金預貯金、公社債、金銭信託等、元本保障が確実な方法で企業外に積み立てる方法、あるいは、中小企業退職金共済法に基づく中小企業退職共済事業団若しくは特定業種退職共済組合による退職金共済制度、特定退職金共済団体の行う退職金共済の制度(所得税法施行令六六条)、又は適格退職年金契約(法人税法八四条三項)を利用することができたのであり、これらについては、税法上も考慮が払われているのである(所得税法施行令六〇条一項、二項、法人税法施行令一三五条)。

これらの制度を利用するか否かは、企業の自由な選択に委ねられているのであるが、これらの制度を利用することなくあえて勤務関係の継続中に退職手当相当額の給与を支払つた場合にまで、これを退職所得として優遇することは、明らかに法の予測するところを超えたものといわざるを得ない。企業において一〇年定年制を採用したとしても、現行税法上これを退職所得として取り扱うことは、他の一般の退職金の例との均衡上無理であり、給与所得として課税されざるを得ないのであるが、このような方法を採用したことによる不利益は、あえてかかる方法を選択した企業及び従業員が負担することとなつても、誠にやむを得ない仕儀であるといわざるを得ない。

3 原判決は、本件金員が所得税法三〇条に規定する「退職により一時に受ける給与」に該当するものと判断しているが、以上述べたように本件金員の支給を受けた神鳥浩ほか一一名の従業員らが、本件金員の支給の前後を通じ被上告会社を「退職」した事実は全く認められないから「退職により一時に受ける給与」としての前記一、3に掲げた(2)の要件、すなわち、当該給与が従来の給与所得の源泉をなしてきた勤務関係の終了(すなわち退職)によつてはじめて生ずる給付であることの要件を満たさないものである。

また、原判決は、本件金員が、所得税法三〇条に規定する「これらの性質を有する給与」に該当すると判断しているものとも解されなくはないが、以上に述べたように本件金員は、実質的にみて前記「退職により一時に受ける給与」と認められるための三要件の要求するところに適合して、課税上右「退職により一時に受ける給与」と同一に取り扱うことを相当とするもの(前掲東京高裁判決)にも該当しない。

結局、本件金員は、所得税法三〇条に規定する「退職により一時に受ける給与及びこれらの性質を有する給与」に該当せず、従業員が雇用関係の継続中に雇用関係に基づき使用者から受ける給与として所得税法二八条に規定する給与所得に該当するものといわなければならない。

したがつて、原判決には、所得税法二八条及び三〇条の解釈適用を誤つた違法があり、右違法は判決の結論に影響を及ぼすこと明らかであり、速やかに破棄されなければならない。

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